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ひとことで言うと、「すごい」映画だと思いました。
「言葉にならない」
堤監督も、そうおっしゃっていましたが、
その通りだと思います。
前半のぞわぞわ感。
母親として、子どもの中学時代を思い出し、
又、自分自身の学生時代の感覚も交差し、
そして、クライエントさんたちの話、
特に、子どもたち若者たちの言葉が、頭の中を駆け巡ります。
お母さんたちも、先生たちも、それぞれが日々、
精一杯頑張っていて、いっぱいいっぱいで生きていて。
それでも、
見ているようで、見ていないものがあり、
表面だけの平和が存在し、
停滞し続けるこの世界の閉塞感。
そのど真ん中にいる子どもたち。
現代のリアルがそのまま、スクリーンの中で映し出されている。
後半、なぜここで?と、
自分でもわからない子どもたちのシーンに、涙がこぼれ、
最後のシーンでは、苦しいほどに溢れ続けて、
隣に夫がいなければ、終了後も涙が止まらなかったと思います。
この映画は、ある意味、セラピーのようだと感じました。
脚本家の坂元裕二氏が制作過程において大事にしていた点を
パンフレットで読んで、合点がいったのです。
「お話しを‘’作らない‘’ことが最終的に最も大事だったかと思います」
だからこそ、
後半、出来上がったストーリーの傍観者でいるのではなく、
「ただただ、この子たちと共に生きる時間であってほしい」と坂元氏の
望んだとおりの体験をしたのでしょう。
それが、
奥にあるものを湧きあがらせ、
体内で膨れ上がり、溢れさせ、
何かをゆくゆくはじっくりと目覚めさせていく。
そんな時間だったのだと、後になって思います。
すごい映画だと思います。
言葉で語れる重要性も山盛りな上に、
もっと深いものを、見るものに、委ねている。
思考は追いつかなくても、身体が反応し続けている。
見終わってからが、スタートとなる。
深い無意識レベルでの、気づきや、癒し、変容の過程。
時に、集合無意識レベルで。
それぞれの心の中で、動いていくものがきっとあり、
静かに、知らぬうちに、微細に、変容は始まっていくのかもしれません。
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=577x10000:format=jpg/path/s9809c8efc27c4e6f/image/i15a71850c98c10c8/version/1686784914/image.jpg)
これは過去に、私が坂元裕二氏に
インタビューしライティングしたもの。
新聞の日付を見ると、1992年。
坂元氏24歳のとき。
私が自分一人でおこなった初めての人物インタビューで、
思いもよらない視点と斬新な切り口、
ハッとするような台詞の数々、深すぎる洞察力・・・
目の前で、宝箱から宝石がゴロゴロ出てきているのに、
それを入れる器を持たず、伝える力も持たなかった、
当時の自分のペラペラ感を思い出すと恥ずかしくもったいなく。
それでも、私にとっては強烈な出会いで、ファイルして大事にとっておいたもの。
あの時から30年、
ずっとファンで作品を見続けてきたというより、
彼の描く世界観を見ないではいられなかったというほうがしっくりきます。
私もあれから30年の道のりを経て、
やっと、あの頃よりは深く受け取れるようになったのではないかと、
そうだといいなと、思っています。
この映画を多くの人が観てくれることを願わずにはいられません。
今の日本には必要なのだと、思うのです。